花も団子も 

 


今年の冬は例年よりも冷たかった。湖畔に浮かぶ一艘の船の上にいるかの様な冬だった。
いつの間にか陸地にたどり着いていた。ふわりと春の風の香りがした。

 

 


朝の日差しをカーテン越しに浴びる度に「春だなあ」と思う程、日々、春の陽気をひしひしと感じる。
街も”サクラ”味、”サクラ”色、”サクラ”歌、に染まってきた。
人工的な春に染まりたくなくて、「本当」の春を感じるんだと意気込んで外を散歩する。そうしてしばらくすると、目がしばしばしてきて強い日差しに体力を奪われ、一休みがてら喫茶店に入ることにする。そしていつの間にか”サクラスイーツ”に興じている私がいる。春はもうそこにいる。

 

 

公園を散歩しているとグリコをしている親子やお揃いの衣服を身に纏いピタリとくっついた幸せそうなカップル、両手を後ろに組んで難しそうな顔をして歩いている若者が目に入ってくる。そして、その横をランニングに精を出す老若男女が颯爽と通り過ぎていったりする。穏やかな春の光を送り出す青空は今日も変わらず空色でフワフワとした白色の呑気者と共に、ただそこを流れている。春はもうここにきている。

 

 

「出会いと別れ」と形容される春が、青い春だったことに気付かされた。冬の延長線上にある区切りなく訪れた春っぽい季節を「春」と呼んでいいのだろうか。マフラーとコートがジーンズとトレンチコートに、雪が桜に、霜の声は鳥の囀り(さえずり)へと変わっていく今、もしかしたら緩やかな「別れと出会い」を経験しているのかもしれない。そんな気がして、桜の枝を部屋に飾った。春がきた。

 

 

 

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文章を書くことから遠ざかっていた。というのも、書いては消し、書いては消し、を繰り返す内に嫌気がさしたからだ。「書く度に消す」という行為は、ある意味、理に適った行動だった。物事には一つの面だけではなく常に多面性を伴って存在していると思っているからだ。
自分の考えたことは一つの面でしかなくて、他の面から見ると間違って見えた。そうしている内に、何が正解か不正解かも分からなくなって考えることや生活を営むことから遠ざかっていった。ただ時間が経過するだけの毎日は記憶に残らないもので、だからこそ記録しておこうと思った。

 

 

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初めて長編小説を読んだ。村上春樹著「1Q84
簡単なあらすじはこうだ。2人の主人公、天吾と青豆は孤独な10歳の少年少女として、誰もいない放課後の小学校の教室で黙って手を握り目を見つめ合うが、そのまま別れ別れになる。そして相思いながら互いの消息を知ることなく長年月が過ぎた1984年4月、2人は個別にそれまでの世界と微妙に異なる1Q84年の世界に入り込む。【引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/1Q84
まあ、あらすじを読んでも何が何だかわからないだろう。正直、読んだ後でもこの小説の世界観が独特すぎて説明するのは難しい。
面白くもつまらなくもない不思議な作品、というのが率直な感想だった。村上春樹といえば、彼特有の表現技法がまず想起されるのではないだろうか。その世界観は確かに独特で、うまく良い表すことの出来ない”何か”を有していて、それが”らしさ”であって、言葉で語ることは難しいのだ。(語ってしまったら消失する”何か”を伴っていることが、”らしさ”だからなのかもしれない。)
登場人物が多かったり人間関係が煩雑というわけではなく、登場する人間たちの個性が複雑多岐なのだ。だからこそ、様々な形容表現が用いられることが可能になるし、また、その人間達の中身に惹きつけられてしまうのではないかと思う。
官能的な要素(性)や哲学的な要素(知)、暴悪的な要素(力)など、人々が自然と興味を持ってしまう要素が適度に散りばめられていることもまた人を魅了する要因の一つだと思った。
今回の作品に触発されて彼のエッセイ(「走ることについて語るときに僕の語ること」)を読んでみた。彼は毎朝3時間の執筆活動を行い、それ以外の時間は別のことに時間を割くらしい。その生活を何十年も続けているのだという。自身のことを長距離走者タイプの人間だと分析していたが、物理的にも精神的にも両立している人はかなり珍しい人種なのではないかと思う(笑)(彼は100キロマラソンなどにも挑戦しているランナー)また、執筆活動のことを知的生産活動ではなく一種の肉体労働と捉えていたことも印象的だった。
その几帳面で我慢強くて鋭利な観察眼を持つ彼の個性が大いに反映された作品だった。

 

 

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念願の鹿児島県に上陸した。
念願の土地だけあって大いに楽しむことが出来た。見たいものを見て、行きたい所へ行き、食べたいものを食べたのだからそりゃあ楽しいに決まっている(笑)レンタカーを借りて車内で鹿児島放送のラジオを流しながら薩摩半島を周遊したのが最高だった。鹿児島弁の訛りが耳に心地良くて私は好きだ。

 

 

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料理は相変わらず苦手だ。
夕飯はサツマイモとかポテトチップスとかさやえんどうとかで済ますことが多い。以前、その話をしたら想像以上に引かれたので、その日から口外しないようにしようと心に誓った。
とはいえ、作れと言われたら作る。ハンバーグとかカレーとか唐揚げとか青椒肉絲とかパスタとかサンドイッチとか(書けるだけ書く)(笑)その写真を撮って、友達に送ると(優しさ故に)褒めてくれる。その勢いで調子に乗って口に運ぶと、、、。この先は想像に容易いだろうから手を止めることにする。自分の料理が、オモシロ料理になってしまう原因はなんとなく自分でも分かっている。
①味見を忘れる
②調味料が目分量
③レシピに自己流アレンジを加えてしまう癖がある
大体こんなところだ。これらを直せば美味しい料理を作れると自負しているから、なんら不安を感じてはいない。確かに、料理は美味しいに越したことはないが最後は自分の腹に収まるので今のところ問題はない。
夜な夜なカカオ豆からチョコレートを作ったり、小麦粉からほうとう山梨県の郷土料理)を作ったりする私はもしかしたら料理という創作意欲は人一倍あるのかもしれない。若い日の可愛いらしい思い出ということでここに一つ記しておこうと思う。

 

 

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さてさて、

春は待ってくれないぜ?ということでここらへんで終わりにしたいと思います。

 

 

 

最後に、

面白い記事を見かけたので共有します。

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weathernews.jp

 

 

 


じゃ、また!

読んでくれてありがとう!

 

 


♪Doris Day : Que Sera Sera